提言

老人病研究所

  • |HAKUJIKAI Institute of Gerontology|

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「提言」

少子高齢化社会に三方両徳の知恵を

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「三方一両損」というキャッチフレーズが突然平成の日本に登場した。診療報酬の減少、患者の3割負担、薬剤費の低下、保険料のアップ。皆で損をしましょうという事であろうか。果たしてこれは将来の国民にとって良策であるといえようか。
ここにアラビア人の知恵がある。紹介しよう。

・アラビア人の知恵に学ぶ(貸したラクダの話)

 砂漠の国の話し。父親の遺産のラクダをめぐって3人の兄弟達が争っていた。
問題は父親の遺産であるラクダ11頭とその遺言である分け方にあった。アラbブの国では父親の遺言は絶対である。父親の遺言はこうだ。
長男は1/2を、次男は1/4を三男は1/6を。父親から残されたラクダは11頭であるところが問題を複雑にしていた。長男は1/2であるがうまく分けられない。一頭を殺して肉にし、それを3人で如何に分けるか口論が止まない。
そこへ旅人がやって来て見かねて言った。「それでは私の一頭を貸しましょう」
と提案してくれた。そして1頭を加えることで12頭となり兄弟はそれぞれの分配分のラクダをすんなりと分かち合う事が出来た。長男は6頭、次男は3頭、三男は2頭、そして1頭が余った。旅人は「これは私のラクダだから」と言ってそのままラクダに乗り去って行った。めでたしめでたしである。解けなかった難問がすらりと解けた一瞬である。この古代アラビア人の知恵に学ぼうではないか。
 国民皆保険制度の破綻がさけばれて久しい。政府も医師会も保険組合もどこから財源を引き出すかに懸命である。ここに三方一両損のシナリオが出来あがった。「皆で痛みを分ければ良いではないか」とする小泉案である。これでは余りにも情ないではないか。このアラビア人の様な知恵は無いのだろうか。旅人が貸した一頭のラクダとは現代では何なのであろうか。それはキーワードに直すと「未病と自己責任」ではあるまいか。

・時代が国民皆保険制度をささえる次ぎのシステムを求めてきている

 この国民皆保険制度は日本が1961年に成立させた貴重な社会保証であり,
これが世界に先駆けて日本人の健康の増進となった。この制度はアメリカでも出来ず,中国にも無い。イギリスの家庭医制度よりフリーアクセスなどあり使い勝手の良い制度でもある。この制度がすんなり出来たのは日本人が長い間、村社会であったことの良さの一面でもある。この制度があまりにも精巧でうまく作られていたため、この制度の維持が尊主され現在に来ている。個人の健康を全体で守る制度でもある。しかし老人人口が当時7%であった時代は遠く過ぎ、現在は17%の時代が押し寄せてきている。この皆保険制度は国家的ネズミ講にも似ていて人口構成がピラミッド状であることが原則である。基盤変化が生じて来てしまったのである。今後維持する事の苦痛が付きまとう時代でもある。しかし根本解決としては若年労働層が老年人口より遥かに上回る人口構造でなければこの制度が成り立たないのは自明の理である。これからのシュミレーションに対しては厚労省は国家機密のごとく、口を閉じているのが実態である。ただ診療報酬の値下げ、保険料の値上げ、薬価の値下げしかとるべき方法が無いとするのが現在の厚労省のシナリオである。さもなくば皆保険維持のために子孫を増やすか、従順な子供教育を行うか、子孫に付けをまわすかしかないと言うであろう。止まれ、これでは世代間での戦争になるしかない。ここでアラビア人の知恵なるものは出てこないのであろうか。あのラクダはどこへ行ってしまったのであろうか。ここであえて言わせてもらうなら未病の概念がラクダになりうる可能性がある。

・未病の再発見を

 健康が崩れたら病気、病気が治ったら健康、とこの世は健康と病気の二つしかないと思いこんでいる事から発想を変えてみよう。国民皆保険制度はこの二つの世界観から出来あがっている。だから病気にならないと保険が受けられない。医療費の値上がりはこの病気の概念の範囲が拡がりすぎたことに一因がある。「皆で病気になれば大丈夫」というのが蔓延してしまった感がある。もう1度病気とは何かを皆で考える時期でもある。健康から病気に至るまでは連続しておりこの間に未病が存在している事に気づく事から始めよう。未病をラクダの如くこの健康と病気の間に置くのである。するとこれまで難解だった多くの事が解決されるのである。まず未病は病気と違って自覚症状は無い時期であるので未病の主治医は生活者自身であること。この点から村社会意識の脱却をはかり、「自分の身体は自分で守る」とする自己責任の精神の確立を目指そう。健康にかけた医療費への納得が出来、総医療費の減少に繋がる。健康感に対する意識の向上、身体、病気への知識の普及が先ず重要である。病気に対する知識の普及は病気にならないようにするばかりでなく医療へも過剰の期待をかけないことに繋がり、医療訴訟の減少にも通じると思うが。また代替医療は未病医療の一環としてあり健康食品などは自分の目を肥やすことで自分に適するものを選ぶ様にする。病気とは何かを選別し、この病気の範囲に入った人には充分な医療保険制度が適用される様にする。「自立と安心」、これがこれからの高齢少子時代の日本の安定社会を形成する。未病はその役割を充分担うと考えられる。
     (健康と医療ジャーナル 5月4日号コラムより一部訂正)