「医者にも優しく」
「何も怖くなかった、ただ、あなたのやさしさが怖かった」。 胸を打つ歌詞であります。やさしくなるには強くなければならないのです。
さて、 医学生も6年目に入るとベッドサイドチ−チング(臨床実習)があります。そこでよくいわれる言葉に「患者さんにやさしく」と教えられます。内容は患者さんの身になって、やさしく診療するように、である。では”身になって”とはどういうことであろうか。やさしくするには余裕がある事が前提である。 最近この余裕が医者にあるのであろうか。医療訴訟におよぶミスがないように、また保険で診療点数が減点されないように、症例検討会で苛められないように、治験で問題が出ないように、etc。本心からやさしくなる余裕など、ありようがないのが近頃の若い医者に共通した本音の意識ではなかろうか。この原因は医療教育ばかりが悪いのではないと私は思っている。
例えば、現実の医療の現場でこのような余裕のない医師と患者との間で緊張関係を生じさせるもう一つの要因がある。診療保険システムに問題である。時間をへて熟成し、複雑怪奇に出来上がったものだが、問題なのは出来高払いシステムと医療過誤からの保身の組み合わせで相乗的に、検査漬け薬漬けの風潮は高まる。当然、医者の診療行為に対して不信感をいだかせる材料がさらに多くなってくる。
こんな時、カルテ開示問題が出てくる。私はいつでも自分のカルテを見せ、きたない字をコピ−してもらっているが、少し待て。問題は「質」である。基本に信頼がなければならない。
あのカレー事件の時のカルテや保険金の詐欺にあったカルテはどうだったのであろうか。患者に騙される医者もいることはいる。私も一度あった。やさしくありたいと望む医者ほど騙されやすい。
医療というカオスの中での臨床を科学的に数値化、契約化、明瞭化しようとするのは気持ちは分かるが、患者という人間が相手だけに難しいものが存在するのも事実である。カルテ開示の時の保身のためだけにエネルギ−を費やす医者が増えるのはナンセンスであろう。
もはや患者が弱い立場であるというのは時代遅れであり、寓話に近い。患者こそ強い立場に立つ人である。会社でいえば株主であり、デパートでいえばお客さんであり、学校で言えば学生さんである。だからこそ、患者にも医師に対する思いやり、やさしさがほしい。
医者に対するやさしさとは、正直に経過と症状を話す事である。ウソやミエを言ってもらっては困る。医者によって悪くなる患者もあれば、患者によって悪くなる医者もいる。